熟女とオーストラリア4

前回の更新から相当間が空いてしまった。一応まだ生きています。

ゴールドコーストを楽しんだ熟女連はブリスベンに向かった。ブリスベンは街としても非常に小さいうえに観光するところも少ない。しかし、その分親しみが湧きやすい。何年東京に住んでも「ここが自分の街だ」という感覚は抱けないと思うが(「渋谷」とか「下北沢」という単位なら可能かもしれないが)、ブリスベンなら3ヶ月でそう思うことができる。

まずブリスベンに着いて向かったのは私の家だ。

私の家はこれまでも何度か書いている通り、NZ人の女性(名前:ダニエラ)とスウェーデン人の男性(名前:ガブリエル)と3人である。

余談だが、私が住み始めたときは彼らは普通の友達同士だった。

だから当初は3人それぞれ別の部屋で寝ていたのだが、ある日突然二人が同じ部屋で寝始めた。そういうところに著しく鈍感な私は「なんで一緒に寝てるの?」と真剣に聞いてみたが、「え、なんとなく。」みたいなよく分からない答えが返ってきて、「ふーん、じゃあ私もいつかダニエラかガブリエルといつか一緒に寝るのかな。」くらいに思っていた(ガブリエルは避けたいが)。

ところが2ヶ月くらい経っても一日も休まず一緒に寝ているし、私に「今日はじゃあヤマ(そう呼ばれている)も一緒に寝ましょうか」と声がかかる気配も全くないので、「これはひょっとして付き合っているのではないか?」という疑念が出てきた。何の関係もない男女が毎日同じベッドで寝るのはやはりおかしい。しかし今更「付き合ってるの?」と聞くのも変なので、なぜか暗黙の了解のようになっている。

だから今はカップル私が3人で住んでいる構図になっている。日本であればちょっと考えられない。

話を戻す。

熟女達が私の家に着いたときガブリエルとダニエラはいなかった。家に入ると早速「キッチンはどこやの?」とか「このリビングはどうやって使ってんの?」とかいろいろ家に関する質問を投げかけてくる。関西弁を話す渡辺篤史を家に迎え入れたような気分だ。私が住んでいるのは二階建ての一軒家で、二階を3人でシェアしている。一人一人の部屋の広さは4畳半から6畳くらいだが、リビングやキッチンなどはオーストラリアだけあってかなり大きい。バーベキュースペースや庭もある。息子の住まいが心配だった1号も家を見て安心したのか「ここやったら私住んでもええわ」と言っている。渡辺篤史に褒めてもらった。

この日は日本の味をガブリエルとダニエラに振舞おうということになっていたので家を一通り見てまわると熟女連は調理に取りかかった。「何つくんの?」と聞いてみたところ「やっぱり日本の味を食べて欲しいから手巻き寿司と肉じゃがとポテトサラダとフルーツポンチを作ることにしたわ」 と返事が返ってきた。フルーツポンチはいつから日本の味になったのだろうか。

教訓11
どんな料理でもおばちゃんが作れば日本の味になる

さすがに主婦三人がいるだけあってキッチンの構造を把握すると手際はよくドンドン進んでいく。

しかし途中からキッチンに不穏な空気が漂いだした。1号2号3号による主導権争いが始まったのだ。親戚とはいえそれぞれ段取りのやり方や調理の方法などが違っている。そこで「○○は先に茹でるんやんか」「いやそんなん後でええねん」と言い争いが始まった。

↑まだ言い争う前。このあと戦国模様を呈する。

ここで一度三人の関係を整理すると1号と2号は姉妹、3号はその従姉妹である。3号は一番年長なので発言力は強そうだが、1号と2号は姉妹連合を結んでおり、3号の権力に対抗している。かと言って1号と2号の関係も磐石とはいえず、米の炊き方などをめぐって対立関係になっている。それぞれがそれぞれのやり方を主張し状況は混沌としてきている。キャスティングボードを握れる立場の4号は日和見的態度に終始している。3人ともに決定打を欠きながら調理は進んでいく。3人が合従連衡を繰り返しながら誰も勝者にならない様子を見ながら「うーむ、三国志のようだ。はたまた武田信玄上杉謙信北条氏康の関東三国志か」と思っていた。

そうこうしているうちにガブリエルとダニエラが帰ってきた。ダニエラの妹のジャスティンやガブリエルの友達も何人か集まってきた。

まず彼らに熟女連を紹介していく。比較的年の若い4号を除いて1号2号3号は英語を勉強したことは遠い昔の話である。1号や3号にいたっては生まれた当時英語はまだ敵国の言葉だったくらいだから苦手なのは間違いない。
1号はたどたどしい英語で「Tsuyoshi Mother Fumiko」と知っている単語を並べて自己紹介をした。
2号は3人の中では一番海外旅行経験も多く、彼らの母国であるスウェーデンニュージーランドに行ったこともあるので、ゆっくりとではあるが色々な話をしていた。
3号は「どうもこんにちは。ご苦労さん」と完全に日本語一本やりだ。混乱する相手を見ても気にする気配はない。さすがだ。

それを見ながらこの3人は関東三国志というよりは天下人3人の川柳に例えた方が分かりやすいのではないかと思い出した。1号は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、2号は「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」、3号は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」である。家康・秀吉・信長の中であえて例えるなら家康に一番近いと思っていた私はやはり1号の子だなあと痛感した。

ダニエラは非常に明るく人見知りをしないので1号にも積極的に話しかけているが、英語が分からない1号はポカンとしている。そのうちダニエラが「Your mom is so cute!」と何回も言うので、1号に「ダニエラがおかんのことをかわいいって言ってるで。」と伝えると嬉しそうな顔で「いやっ、ダニエラさん見る目あるやん。ダニエラさんも負けてへんくらいかわいいって伝えてあげて。」と勘違い発言を炸裂させている。

教訓12
女は何歳になっても自分のビジュアルを気にしている


いよいよ食べようということになり、料理をテーブルに運ぶ。

「人生で緊張する瞬間ベスト100」というアンケートがあったとしたら、私は78位くらいに「自分の母親の料理を他人が食べる瞬間」がランクインすると思う。自分の母親の料理が他人にとって美味しくなかったらなぜか妙に恥ずかしい気分になるからだ。そもそも人は他人が作った料理を食べて「美味しくないね」という感想を言うことは非常に少ない。mixiの紹介文同様ポジティブな表現だけに終始するのが常である。本心が読みにくいのだ。まして日本食に馴染みのない人に日本食を食べさせるのだから緊張するのも無理はない。だから私は彼らがどう思うかなと気になっていたのだが、1号たちは「どうや、これが日本の味や」といわんばかりの威風堂々ぶりである。そういう姿を見ていると私は自分の人間としての卑屈さが出たようで少し恥ずかしい思いをした。

肉じゃがは結構好評だった。「日本では若い女性が『得意料理は肉じゃがです』と言うと家庭的な感じがして好感度アップにつながるんだよ」とダニエラに言うと「じゃあ私も勉強しなきゃ」と言っていた。2号が作った"日本の味"フルーツポンチも大好評でダニエラの女友達などから「作り方教えて」と言われており、ひとまず大成功だった。



そういえばこんなことがあった。食べてる途中に1号がダニエラに突然「胡椒を取って」と話かけた。横で聞いていた私はあきれ気味に「あのな、ダニエラは日本語話されへんねんから『胡椒取って』は通じひんで。英語で言わな。」と言った。いくら成績は悪かった1号といえども「胡椒取って」くらいは英語に出来るだろうと思ったから、それ以上は何も言わなかった。すると1号は天井に向かってぶつぶつと何言かつぶやいている。必死に英語にしようとしているようだ。

しばらくして頭の中で回答が出てきたのだろう。

1号はダニエラに向かって「Kosshou!」と言った。

確かに非常に英語風の発音になっている。カタカナであえて記述するなら「コッショウー」とでもなるかもしれない。しかも言い終わった1号は「どや!」という顔をしている。当然ダニエラはキョトンとしている。

うーむ。

28年間1号の息子をやってきたが、正直言ってここまでひどいとは思わなかった。思い返せば1号の異常さに気づくチャンスは何度もあった。「書道教室で四文字熟語でなんか書かなあかんねん。こんなんどうやろ?」と言いながら持ってきたアイデアが「腹八分目」だったとき、「パスポートないから北海道行かれへん」と言ったとき、子供のとき肥溜めにはまった話をもとに「あれだけははまったらあかんで」と何度も何度も息子二人に聞かせていたとき、大学の友人を家に招いたらその友人に突然「私な、若いときアメリカでジェットコースターに乗ってな、あまりに怖かったからな、おしっこもらしててん」と聞きたくもない驚愕の告白を始めたとき、などなど。

「Kosshouは言い方変えても日本語のままじゃ!」と強いツッコミを入れても「ありゃ、そうかいな」と呑気な顔をしていた。
しかし言葉は通じなくても食べ終わる頃には持ち前の明るさでダニエラと仲良くなって最後はハグをしていた1号を見て正直うらやましい性格だと思った。

教訓13
外人と仲良くなるには英語力より性格が重要

私としてもハラハラしながらもとても楽しい一夜になった。

次回(熟女シリーズ最終回)はブリスベン近郊の島モートン島で熟女がマリンスポーツにトライする。