最終回

新聞にも載っていたので知っている人も多いと思うが、実はもう日本に帰国している。あんなに大きく取り上げられるとは思っていなかったので私も少し驚いた。成田では追いかけてくるキャスターを振り払って、なんとか会社の寮までたどり着くことが出来た。

実はオーストラリアのネタはまだまだあるのだが、日本の生活はオーストラリアと違って忙しく、このブログをのんびり更新している暇もなさそうなので、いったん最終回としたいと思う。

これからは私も皆さんと同じ一庶民として生きていくことになるだろうが、こっそりとオーストラリア再上陸の気配はうかがっていきたいと思う。

熟女とオーストラリア5

ブリスベンの中心地からそれほど遠くないところにモートン島という島がある。砂でできた島としては世界第二位の大きさを誇り(ちなみに第一位のフレーザー島もブリスベンから近くにある)、手軽な観光地となっている。

ブリスベン港からフェリーで1時間ほど。朝早く起きて私の家の近くに泊まっていた4人をピックアップしブリスベン空港へ向かった。

天気も非常にいい。ブリスベンがあるクイーンズランド州というのは全般的に天気がよく、別名サンシャインステートと呼ばれている。無理やり日本語に直すと太陽州という感じだろうか。つまりたまに激しい降雨があったりするが、基本的に晴れていることが多い。だからこの日天気がよかったのは別に熟女連の日ごろの行いがよかったからというわけではなく、当たり前のことといえば当たり前のことである(かといっておばちゃん達の別に日ごろの行いが悪いわけではないだろうが・・・)。

普段乗らない交通手段に乗るとテンションが上がるという法則がある。例えば新幹線や飛行機が代表格である。新幹線の売り子やフライトアテンダントのように毎日乗っていればもはやテンションが上がるということはないだろうが、一般人のようにたまにしか乗らないということであれば誰でも楽しくなってくる。自慢したくなってくる。私は正直言って新幹線か飛行機に乗ったら自慢することにしている。「俺今回大阪来たの新幹線やで。途中で弁当食べたった」と。「いやーこないだ海外行ったから飛行機乗ってん。結構揺れてたわ。すごいやろ」と。

何が言いたいかと言うとフェリーに乗って熟女もテンションが上がっていたということである。1号はモートン島へ向かう船を見て「いやっ、船やんか」と鋭い感想を述べていた。

「いやっ、船やんか」

「いやっ、海やんか」

「いやっ、メガネばっかりやんか」

ブリスベンからアルゼンチンの方向に向かってしばらくするとモートン島が見えてくる。天気がいいこともあって非常に海の色が綺麗だ。



まず目に入るのはペリカンだ。ペリカンを生で見たのは初めてである。実物で見たペリカンはマンガやイラストで見る以上にコメディチックな顔をしている。特に目がおもちゃみたいだ。熟女は「あの顔の中でも男前とか不細工とかあるのかしら」と言っている。生物学的に興味深いテーマである。



モートン島は島全体がリゾート施設のようになっていて、宿泊施設やバーがあるだけではなく様々なアクティビティが用意されている。まず最初にトライしたのはヘリコプター。ヘリコプターに乗って島の上空から島を見ることが出来る。1号はヘリコプターを見て「いやっ、ヘリコプターやんか」とまた鋭い感想を述べている。

「いやっ、ヘリコプターやんか」

教訓14 熟女の感想は鋭い

まずは私と1号がトライ。ベルトをして安全確認をするとあっという間に上空へ上がっていく。何メートルくらいなのか分からないが、かなりの高さである。高度とともにテンションが上がる1号。「うわっ、めっちゃ高いで。あんたも下見てみ!ひゃー、きれいわ!」。

確かにヘリコプターから見る景色はまさにこれぞ南国と思わせる美しさだ。エメラレルドグリーンの海と白の砂と深緑の森のコントラスト。





空の方に目を向けると海の青さと空の青さが一体化していてどこが境目なのか分からない。

ヘリコプターの操縦士から「ほら、あれがジュゴンだぞ」と指差されたとことに確かに生き物が見える。あれが本当にジュゴンなのかどうか分からないが、とりあえず1号に「ほら!ジュゴンやで!ジュゴンジュゴン見てみ!」と声をかける。すると「いやー、ほんまやなあ。見えるなあ。来てよかったなあ。さすがオーストラリアやなあ」と感動していた。ジュゴンを見て喜ぶ1号を見て喜ぶ私。親孝行をしている気がする。

かすかに見える黒いのがジュゴン(らしい)。

ヘリコプターを降りて次は2号3号4号がチャレンジ。飛び立っていく3人を見ながら「いやー、がんばってきてねー!」と手を振った後、ボソッと1号が「あんたがさっき必死なって言うてたジュゴンってなんやの?生き物かいな。よう分からんわ」と先ほどの私の感動をあっさりと吹き飛ばしてくれる。要はジュゴンを知らないのだ。そのくせ戻ってきた2号たちに「ジュゴン見れた?」とか聞いている。

教訓15 おばちゃんはうなづいてても適当に話を合わせてるだけ

ヘリコプターの次は砂すべり。

既に書いたようにモートン島は砂で出来ているので砂漠とまでは行かないが砂丘がある。バスに乗り込んで奥地の砂丘に行く予定なのだが、待ち合わせ時間になっても同乗するはずの別のグループが現われない。オーストラリアなら時間通りに人が現われなくてもただ待っていればいいのだが、熟女連は生粋の日本人であるため、段々バスを待ちながらイライラしてくる。「その人らほんまに現われんのかいな。ちょっとあんた、聞いてきて」と状況を聞きに行かされる。そこでスタッフに聞きに行っても「もうすぐ来ると思うのですが・・・」と言われるだけ。なんだかんだで30分ほど待ってやっと現われたのは20人くらいのインド人グループ。何食わぬ顔してバスに乗り込んでいくが熟女連も「インドの人らやったらしゃーないわ」となぜかインド人は遅刻特別扱い。

やっと現われたインド人たち。

砂丘は異常に暑い。暑いというか熱い。

植物があることがどれほどありがたいことかを痛感しつつ、砂の上を歩く。要は雪上のソリと同じで高いところから板に乗って滑り落ちるというシンプルな遊びなのだ。

目に砂が入らないようにゴーグルをする熟女連。続いてすべり方のレクチャーを受けて板を担いで砂の上を上がっていく。


まずはインド人がチャレンジ。うまい。インド人は砂すべりがうまい。


続いて熟女連がチャレンジ。トップバッターは2号。こういうときに2号は度胸が据わっている。

動画で見ると分かりにくいがなかなかの高さがあり多少の勇気を要する。
そこそこの出来だと思う。

次4号。若いだけあってまあまあ。

3号。キャラと違って勢いを感じさせない滑りである。

最後は1号。

予想通り直前になってダダをこね始めた。怖くて出来ないというのだ。もうみんなやってるからと無理やり後押ししてやらせたところ、意外にもうまい。シャーッと滑っていく。1号曰く「私やったら出来る子やから」

一番上手だった人は最優秀賞をもらえることになっているが、その賞は残念ながらインド人に獲られてしまった。


そして昼食を食べ、いよいよ本日のメインイベント、パラセーリングの時間がやってきた。

パラセーリングがどういうものか知っているだろうか。こういうレジャーもの全般に弱い私はこの日までパラセーリングがなんだか知らなかった。1号が遠くに浮かぶパラシュートを見て「あれ、面白そうやん。やってみいひん?」と言ったから、初めて「あれなに?」という話になり、トライしてみることになったのだ。遠くから見る限りそれほど高度があるようにも見えないし、下が海だからそれほど危険な感じもしない。これは私にもできる、と1号は思ったのだろう。

小型のボートに私と熟女連4人、夫婦一組、おばちゃんの女性二人組みと3グループが乗り沖の方に進んでいく。最初に挑戦したのは夫婦。背中にパラシュートをつけてボートから離れるとどういった仕組みか体が空に浮き上がっていく。気がつけばすぐにボートから離れてだいぶ遠くに行ってしまった。どれくらいの高さから聞いたところ「100メートルくらいあるよ」という。100メートルというとビルの高さ25階くらいである。本当にそんな高いのだろうか。そんなところに紐とパラシュートだけで浮き上がっているのはどうにも心細いが大丈夫だろうか。


このときはまだ怖いと言いつつも笑顔を見せる余裕があったのだが…。

ただ戻ってきた夫婦や続いてチャレンジしたおばちゃん二人組みに聞いたところかなり楽しんだようだ。「Awesome!」とか「Excellent!」とか言ってる。

「これなら私にもできるかなと」と1号が安心し始めたので、このままでは面白くないと思い、脅かしてみることにした。「毎年空中から落下して5人死んでいるらしい」とか「下のサメは肉食で落ちたら食べられて死んでしまうらしい」とか1号に向かってぶつぶつ言いだしたのだ。「いやっ、ほんまかいな。怖いな。まあ死んだら死んだときのことや」というようなさっぱりしたリアクションを期待していたのだが、なんと恐怖のあまり1号が泣き出してしまった。

これは気まずい。周囲の外人もなぜ南半球の島のリゾート地で家族で楽しみに来ている集団のおばちゃんが急に泣き出したかを理解できておらず、顔に?マークがたくさん出ている。また泣き出した1号を見て2号3号4号が「あんたがいらんこと言うからや!」と私を責めてくる。南国で急に母親を泣かしてしまった私もオロオロするばかり。

そうこうしているうちに私と1号の出番がやってきた。時間の流れは容赦ない。「無理や!私サメに食べられたくない!まだ死にたくない!」と泣き叫ぶ1号にベルトがはめられていく。もう1号の気分はサメの餌である。係りの外人も泣き叫ぶ熟女にベルトをはめていかなければならない。なかなか辛い仕事だ。

教訓16 熟女は意外にも死の覚悟が出来てない。


今にも腰を抜かしそうな1号だったが、いよいよ離陸する瞬間がやってきた。

パラシュートを広げる。

パラシュートの色が綺麗。

離陸した。

ぐんぐん上がっていく。
不思議だが船から離れても海に落ちることなく、それどころかドンドン高度が上がっていく。
足場もなく宙ぶらりんの状態で海の上を漂っている感覚。

気持ちいいい!!


あっという間にこんな高度に…。

「ほらっ、見て見て、向こうの海綺麗やでー!」と言いながらパッと左を見ると1号が目をギュッと閉じ足を丸めている。体中に力が入っているのが分かる。「ちょっと、1号!せっかく上空におんねんから見てみ!」と言うとゆっくり目を開けて見ようとするのだが、少しでも下が見えると「私無理や!はよおろして!頼むからおろして!」と叫んでいる。

しかも下で引っ張っている船の運転手が面白い人で船とパラシュートをつなぐ紐をガンガン揺らしてくる。当然その振動が上に伝わり私たちのパラシュートが揺れる。するとこれまた当然1号が「ギャー!死ぬ!おろしてーー!!」と叫ぶのだ。うるさくて仕方ない。

私が「あれ下の人が紐ゆらしてるんやで」とタネを教えてあげると1号はさっきまでの泣き顔から打って変わって阿修羅のような顔になり「絶対許さへん」とつぶやいていた。お、おそろしい…。


10分ほどこれが繰り返されて終了。私はもっと長く上空にいたかったが、終わってからの母親は見ての通りぐったり。全く知らない外人の女性に介抱される始末。

続いてチャレンジした2号3号4号は同じ血を引いてるのかと思うくらい余裕の表情。1号とは対照的に終わったあとも「いやー!おもしろかったなあ!!」と終始笑顔だった。

上っていく2号3号4号。

終わってからこのままほっといたら死んでしまうのではないかというくらい憔悴した1号が「アイスクリーム食べたい・・・」とつぶやいたので、近くで買って休みながらアイスクリームを食べていると徐々に元気回復。「いや、ほんま怖かったわ!」と普段のテンションに戻ってきたので一安心。

教訓17 熟女は何かを食べさせると落ち着く

1日は長い。まだこれだけ遊んでもまだ夕方だったので最後はせっかく海に着たので海水浴。日本だとある程度の年齢になって海で水着になるのは恥ずかしがることがあるが、こちらでは体型や年齢などは関係ない。たまにトップレスの女性もいるくらいだ。誰も見てないのだ。そこで1号と3号も思い切って水着になっていた。

ここで一応お宝写真を公開しておこう。マニアもいるかもしれない。

と、まあ散々楽しんだ。

最後は夕日を眺めた。


夜8時にまたフェリーでブリスベンに戻り、またしばらくして日本に戻った。

熟女にとってはなかなかない海外旅行を十分に楽しんだと思う。これは私がこちらにいたからではなく、自分たちが楽しむ力を持っていたからだと思う。

教訓18 熟女は自分で場を楽しむことが出来る

私は熟女が帰ってホッとしたのは言うまでもないが、豆を食べたい気もする。

熟女とオーストラリア4

前回の更新から相当間が空いてしまった。一応まだ生きています。

ゴールドコーストを楽しんだ熟女連はブリスベンに向かった。ブリスベンは街としても非常に小さいうえに観光するところも少ない。しかし、その分親しみが湧きやすい。何年東京に住んでも「ここが自分の街だ」という感覚は抱けないと思うが(「渋谷」とか「下北沢」という単位なら可能かもしれないが)、ブリスベンなら3ヶ月でそう思うことができる。

まずブリスベンに着いて向かったのは私の家だ。

私の家はこれまでも何度か書いている通り、NZ人の女性(名前:ダニエラ)とスウェーデン人の男性(名前:ガブリエル)と3人である。

余談だが、私が住み始めたときは彼らは普通の友達同士だった。

だから当初は3人それぞれ別の部屋で寝ていたのだが、ある日突然二人が同じ部屋で寝始めた。そういうところに著しく鈍感な私は「なんで一緒に寝てるの?」と真剣に聞いてみたが、「え、なんとなく。」みたいなよく分からない答えが返ってきて、「ふーん、じゃあ私もいつかダニエラかガブリエルといつか一緒に寝るのかな。」くらいに思っていた(ガブリエルは避けたいが)。

ところが2ヶ月くらい経っても一日も休まず一緒に寝ているし、私に「今日はじゃあヤマ(そう呼ばれている)も一緒に寝ましょうか」と声がかかる気配も全くないので、「これはひょっとして付き合っているのではないか?」という疑念が出てきた。何の関係もない男女が毎日同じベッドで寝るのはやはりおかしい。しかし今更「付き合ってるの?」と聞くのも変なので、なぜか暗黙の了解のようになっている。

だから今はカップル私が3人で住んでいる構図になっている。日本であればちょっと考えられない。

話を戻す。

熟女達が私の家に着いたときガブリエルとダニエラはいなかった。家に入ると早速「キッチンはどこやの?」とか「このリビングはどうやって使ってんの?」とかいろいろ家に関する質問を投げかけてくる。関西弁を話す渡辺篤史を家に迎え入れたような気分だ。私が住んでいるのは二階建ての一軒家で、二階を3人でシェアしている。一人一人の部屋の広さは4畳半から6畳くらいだが、リビングやキッチンなどはオーストラリアだけあってかなり大きい。バーベキュースペースや庭もある。息子の住まいが心配だった1号も家を見て安心したのか「ここやったら私住んでもええわ」と言っている。渡辺篤史に褒めてもらった。

この日は日本の味をガブリエルとダニエラに振舞おうということになっていたので家を一通り見てまわると熟女連は調理に取りかかった。「何つくんの?」と聞いてみたところ「やっぱり日本の味を食べて欲しいから手巻き寿司と肉じゃがとポテトサラダとフルーツポンチを作ることにしたわ」 と返事が返ってきた。フルーツポンチはいつから日本の味になったのだろうか。

教訓11
どんな料理でもおばちゃんが作れば日本の味になる

さすがに主婦三人がいるだけあってキッチンの構造を把握すると手際はよくドンドン進んでいく。

しかし途中からキッチンに不穏な空気が漂いだした。1号2号3号による主導権争いが始まったのだ。親戚とはいえそれぞれ段取りのやり方や調理の方法などが違っている。そこで「○○は先に茹でるんやんか」「いやそんなん後でええねん」と言い争いが始まった。

↑まだ言い争う前。このあと戦国模様を呈する。

ここで一度三人の関係を整理すると1号と2号は姉妹、3号はその従姉妹である。3号は一番年長なので発言力は強そうだが、1号と2号は姉妹連合を結んでおり、3号の権力に対抗している。かと言って1号と2号の関係も磐石とはいえず、米の炊き方などをめぐって対立関係になっている。それぞれがそれぞれのやり方を主張し状況は混沌としてきている。キャスティングボードを握れる立場の4号は日和見的態度に終始している。3人ともに決定打を欠きながら調理は進んでいく。3人が合従連衡を繰り返しながら誰も勝者にならない様子を見ながら「うーむ、三国志のようだ。はたまた武田信玄上杉謙信北条氏康の関東三国志か」と思っていた。

そうこうしているうちにガブリエルとダニエラが帰ってきた。ダニエラの妹のジャスティンやガブリエルの友達も何人か集まってきた。

まず彼らに熟女連を紹介していく。比較的年の若い4号を除いて1号2号3号は英語を勉強したことは遠い昔の話である。1号や3号にいたっては生まれた当時英語はまだ敵国の言葉だったくらいだから苦手なのは間違いない。
1号はたどたどしい英語で「Tsuyoshi Mother Fumiko」と知っている単語を並べて自己紹介をした。
2号は3人の中では一番海外旅行経験も多く、彼らの母国であるスウェーデンニュージーランドに行ったこともあるので、ゆっくりとではあるが色々な話をしていた。
3号は「どうもこんにちは。ご苦労さん」と完全に日本語一本やりだ。混乱する相手を見ても気にする気配はない。さすがだ。

それを見ながらこの3人は関東三国志というよりは天下人3人の川柳に例えた方が分かりやすいのではないかと思い出した。1号は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、2号は「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」、3号は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」である。家康・秀吉・信長の中であえて例えるなら家康に一番近いと思っていた私はやはり1号の子だなあと痛感した。

ダニエラは非常に明るく人見知りをしないので1号にも積極的に話しかけているが、英語が分からない1号はポカンとしている。そのうちダニエラが「Your mom is so cute!」と何回も言うので、1号に「ダニエラがおかんのことをかわいいって言ってるで。」と伝えると嬉しそうな顔で「いやっ、ダニエラさん見る目あるやん。ダニエラさんも負けてへんくらいかわいいって伝えてあげて。」と勘違い発言を炸裂させている。

教訓12
女は何歳になっても自分のビジュアルを気にしている


いよいよ食べようということになり、料理をテーブルに運ぶ。

「人生で緊張する瞬間ベスト100」というアンケートがあったとしたら、私は78位くらいに「自分の母親の料理を他人が食べる瞬間」がランクインすると思う。自分の母親の料理が他人にとって美味しくなかったらなぜか妙に恥ずかしい気分になるからだ。そもそも人は他人が作った料理を食べて「美味しくないね」という感想を言うことは非常に少ない。mixiの紹介文同様ポジティブな表現だけに終始するのが常である。本心が読みにくいのだ。まして日本食に馴染みのない人に日本食を食べさせるのだから緊張するのも無理はない。だから私は彼らがどう思うかなと気になっていたのだが、1号たちは「どうや、これが日本の味や」といわんばかりの威風堂々ぶりである。そういう姿を見ていると私は自分の人間としての卑屈さが出たようで少し恥ずかしい思いをした。

肉じゃがは結構好評だった。「日本では若い女性が『得意料理は肉じゃがです』と言うと家庭的な感じがして好感度アップにつながるんだよ」とダニエラに言うと「じゃあ私も勉強しなきゃ」と言っていた。2号が作った"日本の味"フルーツポンチも大好評でダニエラの女友達などから「作り方教えて」と言われており、ひとまず大成功だった。



そういえばこんなことがあった。食べてる途中に1号がダニエラに突然「胡椒を取って」と話かけた。横で聞いていた私はあきれ気味に「あのな、ダニエラは日本語話されへんねんから『胡椒取って』は通じひんで。英語で言わな。」と言った。いくら成績は悪かった1号といえども「胡椒取って」くらいは英語に出来るだろうと思ったから、それ以上は何も言わなかった。すると1号は天井に向かってぶつぶつと何言かつぶやいている。必死に英語にしようとしているようだ。

しばらくして頭の中で回答が出てきたのだろう。

1号はダニエラに向かって「Kosshou!」と言った。

確かに非常に英語風の発音になっている。カタカナであえて記述するなら「コッショウー」とでもなるかもしれない。しかも言い終わった1号は「どや!」という顔をしている。当然ダニエラはキョトンとしている。

うーむ。

28年間1号の息子をやってきたが、正直言ってここまでひどいとは思わなかった。思い返せば1号の異常さに気づくチャンスは何度もあった。「書道教室で四文字熟語でなんか書かなあかんねん。こんなんどうやろ?」と言いながら持ってきたアイデアが「腹八分目」だったとき、「パスポートないから北海道行かれへん」と言ったとき、子供のとき肥溜めにはまった話をもとに「あれだけははまったらあかんで」と何度も何度も息子二人に聞かせていたとき、大学の友人を家に招いたらその友人に突然「私な、若いときアメリカでジェットコースターに乗ってな、あまりに怖かったからな、おしっこもらしててん」と聞きたくもない驚愕の告白を始めたとき、などなど。

「Kosshouは言い方変えても日本語のままじゃ!」と強いツッコミを入れても「ありゃ、そうかいな」と呑気な顔をしていた。
しかし言葉は通じなくても食べ終わる頃には持ち前の明るさでダニエラと仲良くなって最後はハグをしていた1号を見て正直うらやましい性格だと思った。

教訓13
外人と仲良くなるには英語力より性格が重要

私としてもハラハラしながらもとても楽しい一夜になった。

次回(熟女シリーズ最終回)はブリスベン近郊の島モートン島で熟女がマリンスポーツにトライする。

熟女とオーストラリア3

世界には様々なゴールドコーストがあるが、オーストラリアのゴールドコーストブリスベンから車で1時間ちょっとの場所にあるオーストラリア有数の観光地である。

日本人観光客も多い場所として知られており、明石家さんまなど芸能人の別荘なんかも多いらしい。

ビーチの真横に高層アパートが立ち並ぶ風景はゴールドコーストならではであり、一見の価値があるかもしれない。

ホテルからビーチまでは5分とかからない。熟女連もビーチに着くと「やっぱりきれいやねえ!」とテンションが上がってきた。

確かにゴールドコーストのビーチは距離が長いにも関わらずゴミも落ちてないし、本当に綺麗だ。

2号もビーチの砂に目をやりながら「ビーチの感じは南紀白浜とは全然違うねえ」と言っている。また「南紀白浜私のせ…」となりかけたので慌てて話を変えた。

この日は非常に風が強く、それが気持ちいい。色々なマリンスポーツをやっている人がいる。

1号と2号のツーショット。姉妹には見えない。

オーストラリアと日本で一番違うのはビーチを歩いている人の年齢層と体型の幅広さだ。日本だと少し太っていたり、ある程度の年齢になると人前で水着になるのをためらう傾向がある。

ところがこちらでそんなことを気にしている人は全然いない。オーストラリアはアメリカを越える世界一の肥満国であるが、太っていても老若男女問わず豊満な肉体を人に見せることに抵抗はないようだ。

ビーチを歩いていると70歳くらいで100キロくらいありそうな女性が水着でビーチで本を読んでたりするのを見かける。

すると1号は「いやっ、見てあの人。ごっつい体してはるわ。あれがもし日本人やったらちょっとおかしいけど、外人やったらおかしないのは不思議やな。外人は太ってても醜くないわ。」とわけの分からない理論を唱えていた。

その後私に向かって「あんた小太りやけど、日本人やから醜いわ。足も短いし、髪型も変やし。もっとシュッとできひんのかいな。なんかあんたは垢抜けへんな。」と毒づいてくる。「足短いのも髪が変なのも親のせいじゃ」と思いながらもグッとこらえた。

教訓8
おばちゃんは自分のことを棚に上げることが得意


ビーチを散歩してからはゴールドコーストの中心街で買い物。

まずはお土産屋に入った。

帽子をかぶっているのに帽子を物色する2号。

「カンガルーやらコアラやらには興味ないで」と言っていたのにカンガルーのぬいぐるみを物色する1号。

続いてWoolworthsという豪州最大のスーパーマーケットチェーンへ。

「向こうにあるのはなんやの?」と質問をする2号。はっきり言って中国人マフィアみたいな風貌である。「こいつら全員片付けろ」と中国語で言っていてもおかしくない。何かに似ていると思ったらドラゴンボール鶴仙人だった。

「カンガルー肉まで売ってんの!」と驚きながら肉売り場を散歩する1号。そうオーストラリアのスーパーはカンガルーの肉まで売っているのである。

しかしやはり主婦だからかスーパーは楽しそうだ。見たこともない食材や値段の違いなどに一喜一憂している。

店内をブラブラして気がつけばスーパーの中でもナッツ類を購入している。「ナッツは食べだしたら止まらへんからな。」と2号と3号。どんだけ豆すっきやねん!

教訓9
おばちゃんはスーパーが大好き


お店を出たらパフォーマンスで銅像のように固まっているおじさんを発見。なぜか3号がやたら興味を示し、「人間か?生きてはんのか?」と言いながらも近づいて握手を求めに行った。3号以外は全員子供である。

「握手どうやった?」と聞くと「人間やったわ」ととんちんかんな回答が返ってきた。



夕食は近くのホテルのシーフード食べ放題ビュッフェへ。牡蠣やらエビやらカニやら魚やらのシーフードがこれでもかというくらい食べられる。

「生牡蠣食べても大丈夫か?私らまだ死にたないで」と心配していた熟女連だが、おそるおそる食べてみたら美味しかったようで、最終的にはバクバク食べていた。

教訓10
おばちゃんは長生きを望むが、目の前の欲望には勝てない

食べながらどんな話題をするのかと楽しみにしていたが、意外にも「オバマ米大統領になりそうだ」という硬い話題。3号が「世界は動いているで。人生も世界もいつも動くもんなんや。止まってたらあかん。」とまた名言をはいた。1号は難しい話が嫌いなので黙って聞いているが(たぶん本当は聞いていない)、2号が相槌を打っている。

その後3号は何を思ったか突如「ええ栗の渋抜きの仕方教えたろか?」と話題を180度転換。ここまで綺麗に「オバマと世界情勢」から「栗の渋抜き」まで話題を転換できる人物は世界広しと言えども3号以外には見当たらないだろう。
私は全く会話についていけないので無言だが、2号に目をやると「そら知らんかった」とか言いながら3号流の栗の渋抜きの方法をしっかりメモしている!会話を展開する3号もすごいが、きっちりマンマークでついていける2号の実力も侮れない!

3号は母の従姉妹なのでそれほどたくさん話したことがあるわけではなかったが、この辺りから徐々に「今回のメンバーで一番キャラが濃いのは3号なのでは…」と思い始めた。

教訓10
おばちゃんは突如話題を変える


夕食を食べて部屋に戻ると「料理の鉄人」がやっていた。もう10年くらい前の番組だと思うが、オーストラリアでは「アイアンシェフ」という番組名で放送されて人気番組になっている。ちなみに今回のテーマは「しいたけ」だった。

熟女連も「いやっ、景山民夫やん。この人亡くなりはったもんなあ」とか「英語わけわからへんけど、『しいたけ』だけは聞こえるなあ」とか興味津々な2号。

悪い顔になっている陳建一

そんな中、1号だけはなぜか勉強していた。実は調理師の免許を取ろうとしており、オーストラリアから帰ったらすぐに試験があるらしいのだ。毒素の名前などを覚えなければならないらしく「青梅に含まれているアミグダリンという名前が全然覚えられへんねん」とぼやいている。駄洒落で覚えようとしているらしく「アミダクジが当たったよ」という風に何度も口に出しているのだが、「アミダクジ」と「青梅」がどうしてもつながらないらしく、しばらくして「青梅の毒は?」と聞くと「ええーっと、えーっと、忘れた」と全然頭に入ってない。

1号は私が小さい頃「勉強しろ」だの「塾に入れ」だのはあまり言わない放任主義だったが、私はうすうす「ひょっとしたら1号は子供の頃アホ(失礼)だったのではないか」と思っていた。自分が勉強しなかったから息子に「勉強しろ」と言えなかっただけではないのかと思っていたのだ。

この点の疑惑を晴らすべく幼少の頃より1号を知る2号に「おかんは子供の時成績よかったん?」と聞いてみた。

「姉ちゃん、成績全然あかんかったな」と期待通りの答え。うーむ、やはりそうか。

でも私は知っている。1号が基本的に非常に真面目な人間であることを。授業をさぼったり、手を抜いたりできない性格なのだ。真面目に勉強していたことは間違いないと思う。

となると「真面目に勉強していたのにアホ」という一番悲しい結論を導かざるを得ない。毎日ちゃんと学校に行って、先生の言うことを守って、勉強しているのにアホなのだ。しかし、ぶつぶつと「アミダクジが当たったよ」とつぶやいている1号を見ると、それも無理もなかろうと思うのであった。


次回は熟女連が外人と絡む。

熟女とオーストラリア2

着替えを終わった熟女連は動物園に入っていった。

来る前は「私カンガルーやらコアラやら興味ないからね」と「それを言ったらオーストラリアに何も残らないんですけど・・・」という辛らつなコメントをしていた1号・2号・3号であるが、実際に見てみるとそれなりに楽しいのではないだろうかという予感はあった。

というのも一つには私自身がそうだったからだ。実際にコアラを見る前は「あんなもん見てなにがおもろいねん、動かへん動物なんか『動物』という定義から間違ってるわ」くらいに思っていたが、見てみると意見を一変させた。非常にかわいいのだ。もしコアラが「ねえ、あのバッグ買ってよ。ねえ買ってってばー。」くらいのことを言ったら「え、いくらなの?コアラちゃんはおねだりさんだなあ」などと気持ちの悪いことを言いつつ買いかねないとすら思った。

もう一つには1号には前科があるからだ。1号は自分が犬を買う前「冬とかに犬に服着させてる人おるやろ。アホちやうか。かわいくないし犬嫌がってるやん。」と世間の小型犬愛好家を敵に回しかねないことをよく言っていた。ところが今はこのざまである。

だから熟女連もそれなりに楽しめるのではないかと思っていたのだ。

まずは爬虫類・両生類コーナー。私はこちらに来るまで全然知らなかったが、変な爬虫類や両生類がたくさんいる。特にヘビについてはオーストラリアは世界最強の名を欲しいままにしている。私がシドニーで行った動物園にはこんなパネルが飾ってあった。

世界の毒ヘビランキングのうち金銀銅はオーストラリアが独占らしい。「男子3千メートル障害におけるケニアか!」と思わずツッコミを入れてしまいたくなるような圧勝ぶりだ。

この動物園にもよく分からないのがいっぱいいた。それぞれの名前が分からない。
1号はこのトカゲみたいなのを見て「この色のセーターええやん」と言っていた。

これは動物園のものではなくて動き回っていた野生トカゲ。

謎。この動物は謎。1号は「恐竜?」と言っていた。恐竜は絶滅してます。

明日生まれ変わってこれになってたらちょっと悲しい。サンショウウオみたいな感じか。

これはメジャーなワニ。2号は「あれ作り物やろ」と疑っていたが本物です。

ヘビに驚いたふりをする1号。このとき「恥ずかしいから早く撮って」と何度も言っていた。

今回じゃないがシドニーにはこんな「これ、もしかしてツチノコでは・・・」と思わせる生き物もいた。

続いてはコアラゾーン。この動物園では脇役だが、やはり異常にかわいいコアラたち。



かわいすぎる。案の定「いやーん、かわいいわあ。でもじーっとして何考えてはんねやろ。」という1号たち。「コアラに興味ない」発言をひっくり返させたコアラ、お前の勝ちだ。

教訓4
おばちゃんは状況に応じて意見を変えることを怖れない


そして次はカンガルーゾーンへ。ここはカンガルーに自由に触れ合えるというのが一つのウリになっている。

お腹には赤ちゃんの手が出ているのが分かる。

「暴れへん?大丈夫?」と言いながらおそるおそる近づく1号。

微妙に距離を取りながらもカンガルーをなでなでする。今1号がまさにオーストラリアを満喫している!
続いては餌を買って食べさせてみた。「奈良の鹿みたいなもんやね」と2号。


世界で二番目に大きいオーストラリア独自の鳥エミューもいた。エミューはオーストラリアの国鳥らしい。エミューが前にしか進めないことから「前進あるのみ」という意味が込められているようだ。


かなり変な顔をしている。1号は「この顔よりは私の顔の方がええやろ?」と言っていたので「意見別れると思うけど、俺はさすがにおかんの方が勝ってると思うで」とヨイショしておいた。


一通り動物と触れ合ったところで、疲れてきたのでゴールドコーストの中心街へ戻ってホテルにチェックインすることにした。
「私ら寝れたらどこでもええから」という心強い発言を事前に聞いていたので私が取ったのはバックパッカーに毛の生えたような安宿。旅行会社の人には「この宿には普通日本人はあまり泊まりません。もう少しいいところに泊まります。」と言われていたのだが、「普通の日本人ではないからいいのです」と言って私が予約したのだ。だいたい寝るだけなのにいいホテルに泊まろうという考え方は私には全く理解できない。金が有り余っている石油王ならともかく庶民が無理していいホテルに泊まるというのはやめたほうがいい。

早速ホテルに入ると「あ、わりとええやん」とお褒めの言葉をいただいた。ありがとうございます。

教訓5
おばちゃんは寝られればどこでもいい

ホテルに入るとさっそく机の上にお菓子を並べて床に座る3号。

「あんた、日本のお菓子持ってきてあげたで。こういうの、恋しいやろ。」
「どんなん?」

「こ・・・、これはしぶすぎるんちやうか。日本にお菓子はたくさんあったのに、なんであえてコラーゲン酢こんぶやねん!」
「あんたコラーゲン酢こんぶ嫌いか?」
「いや、コラーゲン入りなんか食べたことないわ。ええ年して肌気にしてんのか。」
「ええやんか。コラーゲン。ごちゃごちゃ言わんと食べなさい。私も食べよ。」

「酸っぱ!」
「それがええねやんか!分からん子やな。」

この後も出るわ出るわ、日本のお菓子。

しかし、なぜか全て豆類か酢こんぶ。黒豆の甘納豆やら豆入りの煎餅やらナッツやら。
以下豆をめぐる私と3号の攻防。
「お豆さんはほんまに美味しいなあ。」
「なんでそんなに豆ばっかり持ってきてんねん。しかもなんで『さん』づけやねん。」
「あんたお豆さんの美味しさが分からんようでは男としてまだまだやで。」
「俺はハッピーターンの方がええわ。20代で甘納豆好きって渋すぎるやろ。」
「あんた、お豆さんのこと全然わかってへんな。」
「友達か!」
「コーヒー飲みながらナッツ食べてみ。最高やで。あれは出会いや。豆同士の。」
「な、なに、その名言。しかもなんで倒置法やねん。ちょっとうまいし。」

教訓6
おばちゃんは豆を好む。しかもなぜか『お豆さん』と敬意を込めて「さん」づけされている。

教訓7
おばちゃんはたまに名言をはく。

続いては熟女連がゴールドコーストのビーチを歩く。

熟女とオーストラリア1

私がオーストラリアに来る直前の3月に母親と弟とどこかに旅行しようかということになった。
私と弟は関東に住んでいて母親が大阪だったので「間の静岡あたりでいいんじゃない」とか「北陸とかもいいかも」という話をしていた。

私はせっかく行くならもう少し遠いところの方がよいだろうと思って「北海道はどう?」と母親に聞いた。

すると母親は

「いやっ、あかんあかん!私パスポートあらへんから北海道はあかんわ!」

と真顔で言う。

私の母親は時々こういった変なことを言うのだ。

私は怒りをこらえながら

「母さん、ずっと隠していただんだけど北海道は実は日本なんだ。日本国民が日本国内を旅行するときはパスポートいらないって偉い人が決めたんだ。だからパスポートがなくても北海道に行けるんだよ。」

と教えてあげた。

「へー、パスポートは飛行機乗るときに見せるもんとちゃうの?あんたのおかげでまた一つ勉強になったわ。さすがに大卒はちゃうねえ。」

と高卒の母親は感心していた。

・・・というか二年前も弟と三人で台湾行ったからパスポート持ってるやんけ!と別の怒りがこみ上げてきたが、ニコニコしていい息子を演じていた。


そんな脅威の世界観を持ち合わせた母親がオーストラリアに遊びに来た。


もちろん一人で来れるはずはないので、親戚3人と一緒である。メンバー紹介をしよう。
母(還暦越え、関西から出るのは年に一回程度)−1号と呼ぶ
母の妹(還暦越え、海外旅行経験豊富)−2号と呼ぶ
母の従姉妹(還暦越え、今回最年長)−3号と呼ぶ
従姉妹(還暦前、最年少にして引率役)−4号と呼ぶ

4号には失礼だが全員合わせて熟女連と呼びたい。


迎え撃つオーストラリア側は
私(還暦前、本人)
ただ一人。

もうこの髪型ではないが…。

勝てる見込みゼロ。


母親がオーストラリア有数の観光地であるゴールドコーストの空港に着いたのは11月1日土曜日の朝6時。関空から8時間ほどのフライトだ。

ブリスベンからゴールドコーストまでは車で1時間ちょっとなのだが、到着が早いので前日はゴールドコーストバックパッカー宿に宿泊。何かの間違いか相部屋が全員女子で非常に気まずい。

久々に母親に会う喜びなのか、これからの一週間を考えた恐怖なのか、相部屋の女子が気になっているからなのか、なぜかは分からないがあまり寝れないまま朝を迎えた。

ゴールドコースト空港はブリスベン空港に比べるとこじんまりした地方空港といった感じで、規模的には米子空港レベル(行ったことないけど)。


6時過ぎになると到着ゲートから母親一行が出てきた。
日本で11月といえばもう寒くなってくる時期だから当たり前だが、長袖を着ていて暑そうだ。

「久しぶり」
「元気?」
「はあ、おかげさまで」
といったありきたりの会話をしたところで、車でゴールドコーストの中心地へ。

とはいえ朝早すぎてまだお店も何も開いてない。
そこで仕方なく閉まっている土産物屋をウィンドウ越しに見ていたら、2号が
「いやっ、このお土産、南紀白浜でも見たことあるわー。同じやねー。」
南海電車感があふれる一言。

南紀白浜、私の青春やねん」と深入りしない方が良さそうな発言も飛び出した。

そういえば1号こと私の母親もかつて一緒に台湾に行ったときに、世界三大博物館と言われる故宮博物院で値段もつかないような世界的な宝物を見ながら
「これ、もうちょっと取っ手の形が違ってたらコーヒー飲みやすそうやね」
と百均と勘違いしているのではないだろうかというような一言を発していた。

教訓1
おばちゃんはどんなものでも身近なものと関連させるのが得意である。

8時ごろになるとお店が開き出したので、適当なカフェに入って朝食を食べた。
普通海外で一発目の食事は緊張する。美味しいのか美味しくないのか、それ次第で今後の旅行期間の楽しみが決定されるような気がするからだ。


注文したのはサンドイッチとコーヒー。まあ無難な組み合わせである。熟女連を見ると恐る恐る一口目を食べている。どうやら合格だったようだ。
「まあまあ、ええやないの」

私はあまりパンもコーヒーも好きではないので、あまり食べないでいると、3号から
「あんた、もっと食べや。」
と指示が入った。

「いや、あんまりパンとコーヒー好きちやうねん。パンなんか生まれてこの方自発的に食べたいと思ったことは一回もないくらい。米か麺の方がええねん。コーヒーは飲みなれてないから、ついカフェインで気持ちが悪くなってしまうねん。だから俺はええねん。」

「変わった子やな!パン美味しいのに。なぁ!」(と1号に同意を求める)

「そうやん、この子変わってんねん。パン食べへんねん。美味しいのになあ。」

教訓2
おばちゃんは自分の好きなものは全員好きであるべきだと思っている。


朝食を済ませて、まずはベタなところが良かろうと思い、ゴールドコースト近くの「カランビン・ワールドライフサンクチュアリ」という動物園に行くことにした。

この動物園の前には週末には生鮮食材の市が出ていて、まずはそこで買い物。基本的には主婦なので果物や野菜を見ていると楽しそうだ。
「これ、日本より安いね」とか「この野菜見たことないわ」とかワイワイ言っている。

ところが長袖だとあまりにも暑くなってきたらしい。
「もう我慢できひん」と言い出して、車の陰へ移動。
どうするのかと思ったらおもむろに着替えだしたではないか。
いや、まあ別にいいんだけど、一応野外だということは言っておきたい。

半袖になってすっきりした熟女連。

教訓3
おばちゃんは自分の着替えが社会的に価値の高くないものだと知っている。

動物園は次回に続く。

私と大人と金融危機

「大人を感じるのはどんなときか?」という質問があれば色々な答えがあるだろう。
私が「俺、何気にもうおっさんやな…」と思うのはこんなときだ。
「同い年のプロ野球選手を見たとき」
「苦いもの食べて『ウマい』とか言ってるとき」
「『ビールを飲みたい』と思ったとき」
オリコンチャートを見ても全部知らない曲だったとき」
「借りたAV女優が年下だったとき」
などなど。

その中にもう一つ付け加えたいのが「金融危機の影響を受けたとき」だ。

バブルの真っ只中のとき私はまだ小さく何の影響もなかった。バブルが崩壊しても何の影響もなかった。バブル期で唯一覚えているのはブロードキャスターの「お父さんのためのワイドショー講座」を見ていたら、派手なボディコンのお姉ちゃんが東京で踊り狂っているというニュースが出てきたことくらいだ。大人には関係あったかもしれないが、子供にバブルは関係なかった。そもそもカマキリをつかまえたり、ビー玉を転がしたりという遊びはほとんどお金がかからなかったから、経済とは関係ない世界で生きていた。年齢を重ねるにつれて「ファミコン」などお金を必要とする遊びが周囲には増えてきたが、私は貧乏で買ってももらえなかったので、かなりの年齢になるまではお金がかかる遊びとは無縁だった。

最近また世の中の大人が口を開けば金融危機金融危機と言っている。しかし私には全然実感がなかった。アメリカの投資銀行が潰れても、ヨーロッパの銀行が国有化されても、私の生活には全く変化はないからだ。これまでと同じように朝眠たいのを我慢して起き、会社に行き、机の前で目を閉じて時間が流れるのを待ち、ご飯を食べて、家に帰って、寝る、という生活スタイルは金融危機程度のことでは変えられない。「え?金融危機?株安?円高?どうでもええんじゃ!俺にとっては泰葉の記者会見の方が大事なんじゃ!この金髪豚野郎が!」と言いながら泰葉を見て「この人大丈夫だろうか」と胸を痛めていたのは私だけではないと思う。

そもそも日経新聞やらロイターに出てくる単語が難しすぎて訳分からない。先日のロイターにこんな見出しが出ていた。

米FRBがMMFへの流動性供給策、CP買い取りSPVに融資

全く理解できない。同じ日本語とは思えない。これが分かる人はどれくらいいるのだろうか?勝手な予想だが書いている記者も本当は「分かって」ないと思う。なんとなく雰囲気で書いているのだ。
大前研一が「マルチプル経済」という概念を唱えていたが、確かに金融が実態経済の何倍にも膨らんだために、金融の最前線で働いている人間以外には想像が出来ない世界になっている。だから私には分からなくて当たり前なのだ。私にとって日々の生活上重要なのは別に金融危機ではなく、「あっそろそろ洗剤買わんとあかん」であり、「このカップラーメン意外と麺少ないな」であり、「リアディゾンマジかよ」なのである。

ところが最近になって私とは関係ないと思っていた金融危機が徐々に足元を侵食しだした。この辺り年齢を感じずにはいられない。

いくつか影響があった。
■株安
去年勉強のために株でも買ってみるかと思い立ち、某大手商社の株式を買ってみた。そうすると短期間の間にドンと値段が上がり、あぶく銭を手に入れることが出来た。今考えれば単なるビギナーズラックなのだが、勘違いしやすい私は「株の才能に恵まれた天才なのかもしれない」と思い出し、次々と某商社株を買い増し。そうすると徐々に徐々に下がりだし、株への興味も段々失っていった。世の中で「株安株安」だと騒がれているので、久しぶりに見てみたら、購入価格の3分の1くらいになっていた。結構大金で買っていたのでこれはかなりの損失額。当分塩漬けしておくしかなさそうだ。天才にもミスはある。
↓某商社の株価。

このままでは悔しい。そこで先日「さすがに今が底なのだろう」と判断し、外資系の金融機関に勤める友人に「株を買い増ししようと思う」と相談してみた。「やめた方がいいんじゃない」と言われたが、天才の勘を信じてまた買ってみた。するとそこからまた下がる下がる。一気にバブル後最安値を更新してしまった。いらんことをしてしまった。

昨日と何にも生活が変わらないのにあんなに株価が下がる理屈が全く理解できないが、100万以上含み損を抱えて得たものは「私は天才じゃなかった」という事実の認識だけである。

円高豪ドル安
株は余剰資金でやっているから別になくなっても困りはしないのだが、日々の生活に影響するのが為替レートである。

私が豪州に来た半年ほど前はほぼ1豪ドル=100円だった。だから物価の計算は非常に楽だった。全部100かければいいのだから。ただ印象は「物価が高い」というもの。「えっ、コーラの小さいペットボトルが350円もするの!?」「なにこの味気ない昼食が1300円!?」みたいな感じで、感覚的には日本の1.5倍くらい高いというイメージだった。

ところがこの一ヶ月で為替レートが急変。豪州ドルは富士急ハイランドのジェットコースターのような勢いで落下していった。何が原因かはよく分からないが、先々週の金曜日は1豪州ドル=55円まで安くなった。ピークのほぼ半額である。
↓豪ドルの変動。

こうなると一気に物価の感覚が変わってしまう。急にリーズナブルな物価の国になった。スーパー行っても、これまでは逐一物価に驚いていたが、最近は「まあ、これくらいならいいかな」という感じがする。

給料も円でもらうため為替レートの急変は事実上の昇給だ。私も初めは「円高さまさま」と思っていた。しかしよくよく考えてみるといいことばかりでもない。

豪ドルの貯金が一気に目減りしてしまったのだ。私は円でもらった給料を金利のいい豪ドルにして銀行に預けていたのだが、貯金の額が半減してしまったことになる。豪州に長くいるのであれば、レートなど気にせず、銀行に預け続けておけばいいのだが、私はいつか日本に帰る身。私が円をドルに変えたのは1ドル90円前後だったのに、今変えたら65円くらいになってしまう。90円で買った豪ドルが今は65円でしか売れないのだ。一気に3割も減ってしまった。

ただ円高は日本人観光客にとっては朗報だ。日本人にとっては遊びに来やすい国になった。年末年始の休みを考えている人はオーストラリアを候補にしてもよいのではないだろうか。

トータルで見たら私は地味に今回の金融危機とやらで結構な額の損失を出しているようだ。皆さんも自分が大人かどうかの指標として金融危機を使ってみてはどうだろうか。