私と散髪

「生まれてこれまで何回○○したことがあるか?」という質問は答えるのが容易なものと難しいものがある。

難しいものの代表例はトイレだろう。「生まれてこれまであなたはう○こ何回したことある?」と聞かれて正確な数字を言える人は地球に存在しない。おそらく地球に限らず火星や月を範囲に入れても存在しないはずだ。これは「何をもって一回のう○ことするか」という定義が難しいからではない。もちろん「トイレに行ったけど本当にごくわずかしかでなかった場合をどうカウントするのか(0.3回とか?)」や「下痢で何度もトイレに出入りした時は一回とするのか複数回とするのか?また、逆に出入りはせずに座り続けている場合はどのようにカウントするのか?」というような難問題もある。ただそれよりも回数が多すぎて数え切れないというのが大きな理由である。他にも「生まれて何回食事をしたことある?」「生まれて何回まばたきしたことある?」「生まれて何回背中を掻いたことある?」「生まれて何回『お前、アホやな』と言ったことある?」などの質問には答えられない。誰も記録をつけていないからだ。

一方、容易に何回したか数えられることもある。「生まれて何回イチローと対談したことある?」とか「生まれて何回モザンビークで死にかけたことある?」とか「生まれて何回ビルの屋上から飛び降りたことある?」などの質問は比較的簡単である(ちなみに私はどれも0回である)。先ほど挙げた数え切れない質問の例も少し変えるだけで非常に簡単な質問に変わる。「生まれて何回カブトムシの幼虫食べたことがある?」とか「生まれて何回まばたきしたらそのまま目が開かなくなったことがある?」とか「生まれて何回自分の背中を掻くつもりが間違って他人の背中を掻いたことがある?」とか「生まれて何回『お前、アホやな』という名前のミュージカルを見たことがある?」という質問になると普通は「0回です」と即答することができる。こちらはあまり経験がなく思い出してカウントしやすいからだ。

つまり、人生には何回もやることと、そうそう何回もやらないことがあるということだ。
当たり前だが、珍しい経験であればあるほど、答えるのが簡単になる。だから例えばオーストラリア人に「生まれて何回『お前、アホやな』と言ったことある?」と聞いたら、日本人と違ってほとんどの人は「0回です」と即答できるだろう。なぜなら彼らにとっては日本語を話すのがまずないために「Omae, Ahoyana」という機会に恵まれないからだ。

では「生まれて何回散髪屋に行ったことある?」という質問はどうだろうか。これは日本人豪州人問わず、難しい部類に入るのではないだろうか。数えたことがない人がほとんどだろう。

ふふふ、しかしながら私は違う。16回と明確に答えることができる。

私は高校2年生までずっと母親に散髪してもらっていたので、ほとんど散髪に行ったことがなかった。正確に言うとためしに4回行ったことがあるだけだった。その後は高校2年生のときにテニス部の友達と坊主にすることにしてからは、月に一回友人に紹介してもらった散髪屋に通って坊主にしてもらっていただけだ。

最初は慣れていなかったために散髪屋自体に行くことが非常に怖かった。誰でも初めて何かをするときは怖いと思うが、私は特にその恐怖心が強い。あなたは初めてマクドナルドへ入ったときを覚えているだろうか?私はどういうシステムなのか分からずに「恥をかいたらどうしよう」と考えると非常に恐ろしかった。(私はいまだに同様の恐怖感から「SUBWAY」に入れない)。
他にも初めて居酒屋へ行ったとき、初めてバイト先へ行ったとき、初めてガソリンスタンドへ行ったとき、など色々なものが怖くて仕方がない思い出になっている。
ちなみにガソリンスタンドは原付に乗っていた二浪時代に初めて入ろうとしたのだが、どうしても怖くて入れず、一緒に原付に乗っていた友人に「ぐっ・・・、ダメだ・・・!ど、どうしても中に入れない!代わりにやってくれ!」と頼んでやってもらったのを覚えている。その友人は「分からんかったら店員に聞いたらいいやん」と呑気なことを言っていたが、それが出来ないから困っているのだ。
また結局失敗に終わったが初めて車にガソリンを入れたときも怖ろしい思いをした。半年ほど前に日本で母親と弟と北海道旅行に行ってレンタカーに乗ったのだが、返却前にガソリンを入れなければならないことは知っていた。だから旅行の前に車に乗りなれている後輩に電話をし、ガソリンスタンドでの自然な振舞い方を逐一聞いた。車の止め方、注文の仕方、ガソリンを入れられているときの振舞い方、料金の払い方、そして最後の去り方などだ。そのときに「給油口が右にあるのか左にあるのかはしっかり確認しておかなければなりません。間違うと駐車し直さなければならず一大事です。また給油口と間違ってトランクを開けるのも気をつけた方がいいです。そんな間違いをしたら末代までの恥です。僕ならその場で腹を切ります。」と散々脅された。ガソリンを難なく入れることがそれほど難易度が高いとは思ってもいなかったので、手順を教えてもらってありがたかった反面、大きなプレッシャーとなってしまった。旅行の数日前にはガソリンを入れるのに失敗して、陰で店員に「今日の客、ガソリン入れるの失敗しやがったよ!ハハハハ!」と笑われる悪夢を見て夜中に飛び起きることもあった。しかしそこまで周到に準備をしたにもかかわらず、いざ本番になると怖くて出来ずに、弟にやってもらった(セルフのガソリンスタンドだったのに!)。
つまり私は病的なまでにシャイなのだ。こういう感覚は分からない人からすれば「バカじゃないの」と一言で終わってしまうと思うが、本人にとっては一大事である。ガソリンスタンドは持ち前の精神力でなんとか克服したが、スターバックスは以前書いた通りトラウマになってしまったし、スーツを買うのや海外の飛行機のチェックインなどはいまだに恐怖心が克服できない。

このとき通っていた散髪屋も最初は散髪の注文の仕方が分からず非常に恐ろしい思いをしていた。
だいたい、普通はどうやって髪型の注文をしているのだろう?私は坊主だったので「6ミリ」と言えば済んだ。私の周囲の男子は「短め」とか「前と同じで(じゃあ一回目はどうするんだ?という疑問は残るが・・・)」などと伝えているらしい。一方、女子の複雑な髪型を見ていると、自分のなりたい髪型を相手に伝えるには相当のコミュニケーション力が必要とされると思う。かと言って芸能人の写真を見せるのも気まずい。「この写真の長澤まさみみたいにしてください!」とはよほど自分の顔に自信がないと普通はそうそう言えないだろう。私は女子ではないので分からないが、どうやって自分のイメージを伝えているのだろうか。そして終わったとき鏡に映るのはイメージ通りの髪型なのだろうか。もし違った場合はどうするのだろうか。非常に謎である。
そのほかにも、料金は前払いなのか後払いなのか、髪を切っている間はこちらから話しかけたほうがいいのか、「痒いところがありますか」と聞かれてどのように答えればいいのか、など頭を悩ます問題はつきない。

私の場合はこういった難問をクリアした3回目くらいから徐々に慣れてきて、むしろ行くのが楽しみになってきた。高校時代の散髪屋はおじさんが面白かったからだ。このおじさんは自分で言った話で自分が爆笑するという習性を持っていた。それもそんなに笑うような話ではない。たとえば高校生だった私に「どこの会社に入るかで給料が全然違うよ。君も将来気をつけなよ。ギャハハハハ!」と言うのだ。とりあえず私も「ギャハハハハ」と笑っておいて「散髪屋はどうですか?」と聞く。すると「全然ダメ。ギャハハハハ!金なくて死にそう!ギャハハハハ!」と言う。そして私も引きつりながら「ギャハハハハ」と笑うのだ。

毎回こんな感じなので、散髪屋に行くことは人並みに出来るようになったが、1年でやめてしまった(つまり12回行って終わった)。坊主にするだけならバリカンを買ったほうが経済性が高いと気がついたからだ。

それ以来散髪屋は一度も行っていない。私は天然パーマが非常にきついので、ここ10年くらいずっとバリカンで坊主にしている。バリカンももう5台くらい使ったと思う。ただし坊主なので髪型のバリエーションは限りなく少ない。6ミリを基本の長さとしており、少し気分を変えたいときは3ミリに挑戦する。せいぜいそれくらいだ。

だから私を知っている人のほとんどは坊主のイメージだと思う。

ところがせっかくオーストラリアに来ているのだから、髪を伸ばしてみようと決めた。伸ばし続けると自分の髪に何が起こるのかを自分の目で確認したいと思ったのだ。日本ではよく「髪伸ばすとどうなるの?」と聞かれたのだが、私も赤ちゃん時代を除けば5センチ以上の長さになったことがなく、「たぶん東野幸治みたいになるはずです」とか「サイババみたいになると思います」と予想で答えるしかなかった。そこでオーストラリアに来ているチャンスを利用して髪を伸ばそうと考えたのだ。

現在はこちらに来てからこの3ヶ月間一度も散髪をしていない。そこで途中経過として今回は現在の髪型は公開したいと思う。


この写真では分かりにくいが、サイドの膨らみはヤバい。

生え際からすでに曲がっているのが分かる。

おお、これが一番すごい!なんというか、こう、わけの分からん芸術のようである。「宇宙のはじまり」とか「生命の奇跡」とかそんなタイトルがついていても、妙に納得しそうである。それにしても私の髪は一本一本が太くグネグネしており、自分で言うのも嬉しいがかなりの存在感だと思う。私が死んでも髪だけは伸び続けそうだ。

私は個人的には「大澤真幸みたいで悪くないかも」と思っているのだが、今のところ周囲の感想は
「頭っていうかブロッコリーだよね(by日本人)」
「髪が伸びたっていうか膨らんでるよね(by日本人)」
「それ、よかれと思ってやってるの?(日本人)」
「本当は日本人じゃないんでしょ?(by豪州人)」
「ひょっとして中になんか住んでる?(by豪州人)」
となんとも言えないものばかりである。

一応一年間散髪をしないでおこうと決めていたのだが、うっとおしくて仕方がないので少し切りたい。しかし、さらなる成長も見てみたいので目下悩み中である。