本当にお世話になっているか?

日本の会社では電話を取ったら「いつもお世話になっております」とか「お世話様です」と言うことになっている。よく知らないが全員言っているので社会人以上は「お世話になっております」と言うことを法律か何かで義務付けられているのだと思う。(「お疲れさまです」は大学生以上の義務なのだろう)

仕事で電話をするのは本当にお世話になっている人が多いので、確かに言葉に間違いはない。

しかし初めて話す人だったり、ついさっきも話した人と再び話すときにも「お世話になります」と言うことがある。こういうことを考えると「お世話になります」には特に意味はないことが分かる。会話を始めるにあたっての記号みたいなものだ。そもそも挨拶というのはそういうものなのかもしれない。

一部の業界では何時であっても「おはよう」が使われる。
私は高校生の時マクドナルドでバイトをしていたが、マクドナルドは何時でも挨拶は「おはようございます」だった。芸能界もそうだというのはよく聞く。「おはよう」は「お早く」が語源なのだから、早い時間以外に使うと本来はおかしい。しかし徐々に意味が消えて形式だけ残ったのだろう。

そういえば話がそれるが「お世話になっております」で思い出すのは「オトナ語」だ。
「ほぼ日」のオトナ語の紹介ページには「お世話になっております」についてこんな風に書いてある

 オトナの世界はまずこのひと言から始まる。
 わざわざ書くのがバカバカしいほど基本的なことだが、
 ほんとうにお世話になっているかどうかは
 まったく関係がない。
 とにかく、「お世話になっております」!
 開口一番、「お世話になっております」!
 むしろオレがおまえをお世話してるんだよと思いつつも
 「お世話になっております」!
 あなたと私は絶対に初対面であるけれども
 「お世話になっております」!
 たとえ、先方の電話に出たのがベッカムだとしても
 「お世話になっております」!
 たとえ、メールを送る相手がローマ法王だったとしても
 「お世話になっております」!

ローマ法王にも「お世話になっております」と言ってみたいのはやまやまであるが、残念ながらそのチャンスがなく、実行できていない。

私はあんまり漢字のオトナ語を使いたくないタイプなのだが、横文字は嫌いではない。「小生」とか「幸甚」とか「教示」とか口語で使わないものは極力使わないが、「ブレイクスルー」とか「デフォルト」とか「リスクヘッジ」とかは便利なので結構使ってしまう。それでも外資の金融機関とかに勤める高給取りの友人と話すと「エクイティとデットがオフバランスしたからファーストカットがマルチプルなんだよね」とか全く理解できない話をされて驚愕したことがあるので横文字オトナ語は初段くらいだろう。漢字のオトナ語はなんだか大げさな感じがするので使いどころが難しくあまり使えない。

それにしてもこの「オトナ語」って概念は面白すぎて、一度知ってしまうと会社にいるだけで爆笑間違いなしだ。私が一番笑ったのは「一時期増えてまた減った」「上記の件につきまして、下記の通りお知らせいたします」とかだが、他にも面白いのがいっぱいある。うーむ、糸井重里恐るべしだ。


さて、こんな話を持ち出しのは"How are you?"について考えたいからだ。

こちらではどこでも"How are you?"とか"How's it going?"と聞かれる。電話を取ったらそう言われるし、お店で何か買おうとしたらそう言われるし、ファーストフードで自分の番が来たらそう言われるし、エレベーターにたまたま乗り合わせた知らない人から言われることもある。

中学校では「調子はどうですか?気分はどうですか?」という意味だと習った。
そして返答は"I'm fine, thank you. And you?"というということだった。

しかし実際に生活する上ではこれは大きな問題がある。
人間いつも調子がいいとは限らないからだ。"I'm fine"ばかりではないのである。

いろんな事情がある。

「えーっと、昨日は先輩と飲みに行って結構夜が遅かったので今朝はあんまり寝起きがよくなかったのですが、徐々に回復してきて、今は比較的よい感じです」

「実は今朝身内に不幸がありまして気分がよいと言うと不謹慎な気がします」

悪いことばかりではない。

「昨日1億円の宝くじが当たりまして、"I'm fine"レベルの気分の良さではありません」

そういうこともある。


だから、こちらで突然知らない人に"How are you?"と聞かれると、いろいろ説明をしなければならないと思って困ってしまうのだ。例えばマクドナルドの店員だと私の履歴や人となりも知らないだろうから、ときにはそこから説明をしなくてはならない。しかし英語で流暢に状況を説明できるほど私の語学力は高くない。だから私にとっては例えばマクドナルドではメニューを注文するよりも"How are you?"をどう乗り切るかが課題だった。

マクドナルドに入るとこんな調子だ。
メニューを決めると同時に現在の調子とその理由について考える。それを電子辞書などを使いながら頭の中で英文に直し、ドキドキしながら自分の番が来るのを待つ(店が空いているときは急に話しかけられる可能性があるのでレジには近づかない)。そして"How are you?"と聞かれた瞬間に先ほど頭の中で考えていた文章をそのまま暗誦する。上手く言えた時は「き、決まった!」と感動し、気持ちよくメニューの注文に入る。逆にかんだりして上手く言えなかった時はハンバーガーを食べながら一人反省会である。いっそのこと日本ルールで「おはようございます」とか「お世話になります」と言ってやればよかったと思うこともある。

マクドナルドは準備が可能だからまだいい。エレベーターなどで"How are you?"に遭遇した日にはパニック間違いない。「えーっとえーっと」と頭の中をグルグル言葉を探し回り、何も見つからず"I'm fine, thank you. And you?"と言ってしまう。これもまた一人反省会である。「本当は今朝買ったサンドウィッチが意外と高かったからそんなに気分は良くなかっただろ」と自分に説教である。

こうしているうちにだんだん"How are you?"恐怖症になってくる。


しかし、ここは金田一少年ばりに逆転の発想が必要だと考え、先に先制パンチを食らわせる戦略を思いついた。「攻撃は最大の防御なり」と言ったのは山縣有朋らしいが、同じ発想である。

私から"How are you?"と話しかけるのだ。
"How are you?"攻撃を喰らってアタフタする外人の顔を思い浮かべるだけでニヤニヤする。「えーっと、私の調子はどうだったかしら」と苦しむことになるのだ。

ざまあみやがれ、と思いいよいよ実行に移してみた。


しかし、実際にやってみると拍子抜けである。
馬鹿の一つ覚えみたいに"Good"しか言わないのだ。「グーッ、グーッ」と二回言うバージョンがあるくらいで、自分の調子を説明する人は全然いない。ちなみに"I'm fine, thank you. And you?"という人も全然いない。


最初は豪州人はいつも調子がいいのだろうかと思った。確かに景気がいいし、南半球人の特性もあるので、みんないつも調子や気分がいいのかもしれない。
しかし落ち着いて考えてみれば、さすがに調子がいい人ばかりでもないだろう。中には下痢の人もいるだろうし、飼ってる犬が死にかけてる人もいるだろう。


そこでようやく気がついたのだが、"How are you?"を真に受けてはいけないのである。これは単なる挨拶だ。意味を考えてはいけないのだ。

例え、う○こが漏れそうでも、血尿が出ていても、好きなアイドルが結婚しても、クラスの女子に「きもい」と言われても、とりあえず"Good"なのだ。


なんとも清清しい話である。

どんなに自分の境遇が苦しくても笑顔で"Good"という豪州人(米国人や英国人も同様だろうか)。
その自己犠牲の精神は私も見習わなければならない。

ただ一点不思議なのは"How are you?""Good"以外の場面ではその自己犠牲の精神がほとんど見られないことだ。